VRChatパブリックログ

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無限に茂る葦の丘

 私が正義感から行動したのかと問われれば、それからは最も遠い動機であったと告白する。ここの存在からして自明だろう。記事のテーマに使えそうというのが一つ、そしてなにより、私にそれができたからというのが一番大きかった。

 妻の肖像を書いて展示していたものが、何者かの手によって複写され、ちり紙に印刷された結果、くずかごにうずたかく妻の顔が積み上がっている。それを悲しく思う気持ち、その気持ちに従ってちり紙を破棄させる法の理念は理解できる。しかし私はそれらを信奉してはいない。

 知的財産権周辺の法は、基本的に矛盾をはらんでいる。人の知的活動を保護するという名目の上で、その実人々の知的活動を抑圧している。知的活動の成果物は、本来は人類全体に還元されてはじめて本来の価値を発揮できる。それを個に縛り付けることで失われる価値を、この法は軽視しすぎている。

 ではそれならなぜ行動したのか。と自問すれば、それこそ自身の知的活動のため。つまり好奇心を満たすためだということになる。今回の事件は、既に何度も再現された光景と全く同じ状態で停止していた。観察する限り、このまま立ち消えていくだろうことも容易に想像できた。しかしこのとき自分には、この状況を変化させるだけの力があった。以前までとは違う状況を作り、新しい景色を見てみたいという欲求を抑えるのは困難だった。幸い、法は私に味方をしていた。となれば、行動を抑える道理はもはやなかった。

 実行は想像よりはるかに簡単だった。なんのよどみも無く事が運び、期待通りの結果を得ることができた。しかしこの行動を完了させる段で、私は重大な見落としをしていることに気づかされた。

 くずかごにうずたかく積み上げられた彼の妻の肖像は、彼女の夫の肖像だったこと。そのことを理解していたのに、そのときまで、私は彼女の存在を意識することができなかった。

 彼の友人達はくずかごを見ても何も感じないだろう。彼らの目にはただの冒涜だと映るはずだ。しかし私は彼女の努力を推し量ることができる。情熱と愛情を感じ取ることができる。私もその実、あのくずかごのことが好きだった。

 なぜ法は彼だけの味方をするのだろう。彼女の愛情を否定するのだろう。彼はなぜくずかごを許せなかったのか。彼女はなぜちりがみを使ってしまったのか。いろいろな感情が湧き上がるが、結局この状況を生み出したのは自分自身だという事実が、すべてを空しくしてしまう。

くずかごはもうない。

彼からは感謝されたが、彼女の事を思うとただ悲しかった。